
関東随一のパワースポット
東国三社のうちの1つ
鹿島神宮
茨城県鹿嶋市にあるこの神社は
全国にある鹿島社の総本社であり
その創建は初代神武天皇元年と言われるほど!
(神武天皇は伝説上の人物とされているけどね…)
そんな鹿島神宮がどんなところなのか…
実際に足を運ぶ前にチェックしておきましょう!
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Contents
まずは本殿、でもその前に…
最初に見えてくるのは楼門。
国の重要文化財にも指定されているこの楼門は
水戸初代藩主徳川頼房によって1634年に造営されたもの。
鹿島神社は先ほども書いたように
とてつもなく長い歴史の中で
多くの人々、時には権力者からも
篤い信仰を受けてきました。
そして前回の記事にも書いたように
天孫降臨の前に、国譲りを実現させた
日本建国にまつわる神様です。
(ちなみにこのエピソードは
葦原中国平定(あしはらなかつくにへいてい)と言います…お堅い題名…笑)
このタケミカヅチは古事記、日本書紀どちらにも出てくる神様です。
下界(今のわたし達の世界)を我が子に治めさせようとした
天照大御神でしたが、下界があまりにも騒がしかったので
別の神様がちゃちゃっと平定してくることになりました。
何柱かが遣わされた内の一人がこの
タケミカヅチです。
古事記では天鳥船神(アメノトリフネノカミ)と。
日本書紀では経津主神(フツヌシノカミ)と。
このタケミカヅチが本殿にもちろんいらっしゃるのですが…
この鹿島神宮では、本殿への参拝の前に
高房社に参拝するのが習わし、とされています。
普通は本殿からお参りするものですが
郷に入っては郷に従え
この鹿島神宮では、まず高房社にお参りいたしましょう!
場所は本殿の向かいあたりですから
大鳥居を抜け、楼門を抜け
右の本殿を横目にまずは左の高房社へ。
この高房社には、やはり中つ国平定の際に活躍した
建葉槌命(タケハヅチノミコト)という神様がいらっしゃいます。
タケミカヅチとフツヌシだけでは服従しなかった
天香香背男(アメノカガセオ)という神様を征服したとされる
織物の神様…織物…強いんですね…笑
(一説には武神という説もあります(笑 )
小さいお社ですので、忘れないようにお参りしましょう!
横に折れる本殿
そしていよいよ本殿。
この本殿の建物は江戸幕府2代将軍秀忠公が寄進したもの。
三間社流造りの建物は重要文化財にも指定されています。
私たちが実際に対面する建物は【拝殿】でしたね。
ここ、鹿島神宮ではさらにその拝殿と本殿の間に
幣殿という建物が建てられ、本殿とは『石の間』という
渡り廊下でつながっています。
(こういう、色んな形式の建物がつながっている社殿を
複合社殿、って呼びます)
また、鹿島神宮の本殿にはもう一つ特殊なことがあって
【参道の途中で横から接続】するように、本殿があるんです。
ものの見事に茅の輪設置中で…笑
右側に本殿、左側(ちょうど茅の輪説明版の裏あたり)が
高房社です。
多くの神社では参道を進んでいくと正面に本殿(拝殿)が見えてきます。
ここでは南側から、北向きの社殿が参道途中で現れます。
しかも本殿は北向きに建っているにもかかわらず
内部の神座は東を向いていると…
これ、とある神社と似ている造りなの、気が付きました?
そう、出雲大社。
出雲大社では社殿は南向き、神座は西向きです。
このことから出雲神社との関係性も説かれているようですね。
それぞれ色々な説があるそうですが
鹿島神宮の場合は
神宮の創建当時、まだ大和政権の力が行き届いていなかった
東北方面ににらみをきかせるため…だとか。
武神としても名高いタケミカヅチですから
これが本当に北向きに建てられた理由だったとしても
おおいにうなずけますよね。
鹿島神宮は鳥居から本殿までの距離はそんなに遠くなく
楼門~本殿までは1か所から見渡せるぐらいの距離にあります。
でもここまでで帰っちゃうのはとってももったいない!
まだまだ奥にパワースポットがありますので
ぜひ奥まで足を運んでくださいね!
鹿島神宮
JR鹿島神宮駅下車、徒歩で約10分
〒314-0031
茨城県鹿嶋市宮中 2306-1
公式HP:鹿島神宮 | 常陸国一之宮
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