Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!

Just Another World

Just Another World

城郭・城下町

【岡山】岡山城って誰のお城だっけ…?名園に隠れてあまり知られていない、天下分け目の戦いに奔走された城主たちの城、岡山城

【岡山】岡山城って誰のお城だっけ…?名園に隠れてあまり知られていない、天下分け目の戦いに奔走された城主たちの城、岡山城
Pocket

岡山城、って知ってる?
友人に聞いたら

岡山は何度か新幹線で通ってるけど
岡山駅からは離れているから
お城があるの知らなかった!

なんて話も聞きました。

岡山県のお城って言ったらやっぱり
備中松山城が有名かな、と思うのですが
岡山城だって負けてはいません!

岡山城はどんなお城なのか
どんなところに注目して見たらいいのか
2回に分けてお伝えいたしますね!

今回は岡山城がどんな風にして築城され
現代に残っているのか…
その歴史について、深くかかわった3人の武将と共に
解説していきます!

天下人:豊臣秀吉に気に入られた証は瓦にあり!宇喜多秀家の築城

名古屋城那古野城の上に建っているように
岡山城もその下には石山城が眠っています。
この石山城は14世紀からあって
戦国大名:宇喜多直家が手にしたもの。

宇喜多直家が没すると
嫡男の宇喜多秀家が8歳で家督を継ぎます。

この宇喜多秀家を気に入り
身内のように寵愛したのが時の天下人:豊臣秀吉

天下統一の合戦などにも参加し
気が付けば57万石の大大名
でも拠点は父が遺した手狭な石山城

織田信長による安土城以降を
近代城郭と呼ぶことが多いのですが
石山城は遥か昔のお城
そして周りの大大名はこぞって近代城郭を
建設していたのです。

自分も大大名
やはりそれにふさわしい城が必要だ…

こうして宇喜多秀家の居城として岡山城が建てられます。

秀吉の指導で築城された岡山城
その一端が垣間見えるのが天守閣に使われている瓦の紋様です。

岡山城 天守閣瓦

豊臣家の出自ではないのに豊臣家の家紋である桐紋が使われています。
秀吉はこの桐紋の利用許可を近しい者に与えていたようですから
秀家ももちろん許可を受けて瓦に使っていたのだと思われます。
元服の際に【秀】の字ももらっているから…本当に可愛がられてたんだね…
(そりゃ関ヶ原激昂するよなぁ…)

岡山城の築城が始まってから
川の流れを変えたり、朝鮮出兵があったりと
約8年かかった1597年
やっとの思いで天守の竣工をもって完成した岡山城

しかしながらその翌年、豊臣秀吉が病没。
世の中はまた入り乱れ1600年
天下分け目の戦い:関ヶ原合戦が起こります。

秀吉の寵愛を受けていた宇喜多秀家
西軍最大の1万7000の大軍を引き連れて出陣しますが
西軍敗退により、やがて八丈島に流されます。
(この辺も色々、色々あるんだけど、まぁ今回は岡山城の歴史という事で…)

岡山城完成からわずか3年の岡山城主生活。
そしてその後約50年は八丈島で過ごすことになりました。

宇喜多秀家が去った岡山城を手にしたのは…関ヶ原因縁の勝者:小早川秀秋だった

さて、築城主でもある宇喜多秀家が去った岡山城
もちろんそのまま廃城なんてことにはなりません。

宇喜多秀家の後にこの岡山城に入ったのは…

小早川秀秋
(わたしが一番興味のある武将のひとり!←聞いてない)

西軍として関ヶ原に赴きながらも
東軍に寝がえり宇喜多隊を壊滅させた武将です。
(このあたりはやっぱり戦国の弱肉強食感出るよね…(・∀・)ニヤニヤ)

岡山城に入った小早川秀秋は増改築にも積極的で
本丸の中段を増築したり、沼城の天守を移築したり。

当時の外堀の外側にも城下町を作り
そこを取り囲むようにさらなる外堀を作った時は
わずか20日の間に領民・家臣総動員で作り上げ
【二十日堀】と呼ばれ大幅に城下町も広がりました。

しかし…

2年後、小早川秀秋はこの岡山で亡くなります。
21歳の若さ、しかも跡取りがいないため小早川家は断絶
岡山城はまた城主を失いました…( ノД`)シクシク
(ちなみに小早川本家は明治に再興してるんですよー)

新城主は5歳⁉明治に続く池田岡山藩の誕生

宇喜多家八丈島
小早川家は病没により断絶

そのあとの岡山城主になったのは
姫路藩主:池田輝政の息子、池田忠継でした。
明治に廃藩置県で岡山藩が岡山県となるまで
この池田家に連なる者が岡山藩主として岡山城に入ります。

ただこの忠継岡山城主になったのはまだわずか5歳のとき!
その後この忠継もわずか17歳で病没してしまいます。
そのあとを継いだのが弟の忠雄

この池田忠雄岡山城主だった時代に
現在の岡山城の姿にほぼ完成したようです。

現存している建物だと、月見櫓を作ったのは
この池田忠雄の時代。
現在の中の段はこの頃大きく拡張されました。

忠雄の2代後の綱政により川の対岸に後楽園が作られ
現在わたし達が目にしているのとほぼ同じような姿に。

明治新政府による破却を免れ
旧国宝にも指定されていた岡山城ですが
残念なことに、1945年に空襲で焼失します。

現在わたし達訪れることができるのは
戦後に再建された、外観復元天守です。
内部はここに書いたような
岡山城に携わった
宇喜多秀家小早川秀秋
そして池田家の資料展示となっています。

中の展示は大したことないんだけど…
平城ながらちょっと高台の上に建っている
天守閣からの眺めはやっぱりとてもきれい。
あと金のシャチホコ越しの後楽園っていう
歴女インスタ映えな写真が撮れるのも天守閣ならでは(笑

岡山城 天守閣からあぁ、なんてたまらない眺め…!!

次の記事ではそれだけじゃない
お城の鑑賞ポイントもお伝えいたしますね!

URL
TBURL

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

CAPTCHA


Return Top